今池混声合唱団 20周年記念演奏会

今池混声合唱団20周年によせて

団長 後藤和裕

 今池混声合唱団も創団して20年が経ちました。今日こうしてこのステージが迎えられたのもひとえに今池混声を温かく見守って頂いた皆様のおかげであると思っております。

  私たちは創団より、もっと身近に感じられる合唱を目指してきました。それは、今池中学校合唱部にルーツがあるように思われます。今池中合唱部の創部者、山本恵司先生は中学生らしい素直な合唱を目指して指導されていたように思います。その山本先生の教え子達によってOB会が発足され、現合唱団発足にいたりました。そして創団時より、自分たちらしい合唱すなわち聞いて楽しめうたって楽しめる合唱づくりを目指して活動してまいりました。

 またそんな創団時に、私はある合唱の演奏会を聞きに行く機会がありました。それは刃物で有名な町、ゾーリンゲンの合唱団でした。確かに合唱そのもののレベルもさることながら、自分たちらしい合唱をすることで、ゾーリンゲンの町へは行ったことがない人でも、十分にその雰囲気を感じ取ることができるということでした。合唱を通しその町や、その町で暮らす人たちがわかり、ひとつの町で暮らすドイツの人たちが、老いも若きも集いたのしくまた真剣に歌う姿それこそが合唱の原点だと思いました。

 いずれ私たちもこんな合唱団になりたいと感じて演奏会場から出たことを覚えています。

 時が流れ、時代も日本も変わってまいりました。こんな時代であるからこそこうした地域文化が必要であり、一つのサークルを通しての仲間作りが大切なのではないかとつくづく感じる今日この頃です。そして、こうした活動を続けることこそがわれわれの使命であると思っております。

 時間不足と人数不足は相変わらずで、この先も大変だと思いますがより一層頑張りたいと思います。

テナー 山森孝彦

 私が今混に入るようになったのは、高校時代の合唱部の友人の俊次が、大学の合唱サークルが面白くないなら、今混に入れと誘って来たのがきっかけだと思う。まあ、高校時代にテニス部から「合唱やると歌が上手くなるぞ」と引き抜いたのも俊次だったから、今日の私があるのも実に彼のお陰である。

 確か第3回と第4回は写真係として客席から定演を聴いていたと思う。中電ホールのアンコールで「可愛いあの娘」を歌って柳子の実を落としていた演出を今でも覚えている。「島よ」とか「光る砂漠」「海鳥の詩」のようにしっかりとした合唱組曲を歌い上げる合唱団というのが私の印象だった。

 私は第5回から今混の定演に歌う側として参加しはじめたと思う。5周年の記念ステージも活気に満ちあふれていて好きだったけど、この時の「メダカの兄弟」のアレンジは良かった。こういう曲になると今混のメンバーは実に楽しそうに歌う。

 楽しそうといえぱ、第6回の「サッちゃん」も、そのまま、歌のお兄さんやお姉さんとして教育テレビに出演させたい程のハマリようだった。この時は1ステ「優しき歌」、3ステ「復活」の間に持ってきたステージだったから、客を飽きさせない心にくい演出だったと思う。

 第7回からは会場が芸創センターになる。慣れない人は楽屋と客席とホワイエを走り回っていると迷子になってしまうらしいが、私はここの正三角形と正六角形の構造が好きだ、設計者に花丸◎をあげたい。ここで私の大好きな「水のいのち」を歌った。ロジェ・ワーグナーも良かったが、この年のハイライトは、やはりドラムスやベ一スが客演で参加してくれて盛り上がった「愛のメロディー」のステージだろう。打ち上げのカラオケで「恋の予感」や「スターシップ」を全員合唱で歌ったときは、誰もマイクや字幕を必要としなかった。

 第8回の「動物のカーニバル」のような歌は今混の声やキャラクターに合っている。しかし、なんと言っても好評だったのは、スライドの映像をつかった「ジョージ・ウインストンの世界」だろう。最後の幻想的な雰囲気を壊さないために、この年はあえてアンコールを用意せず静かな余韻を残したまま幕を閉じた。(その後、この時のスライドは指揮者の披露宴でも上映されたが、映写係だった私がまだこのスライドを預かっている。早く本人に返さなくては。)

 当初は3月に行われていた定演は、夏に行われるようになるのだが、8月9月と忙しい私は次第に舞台にのれなくなってくる。でも第10回の山下達郎は出させて頂いた。自分の結婚式の時に今混をバックに「You Belong to Me」をソロで歌わして頂いたのだから、どんなに忙しくてもこういうステージは出なくてはいけない。あの節は本当にどうもありがとうございました。今でも大変感謝しています。ああ、合唱の仲間ってやっぱりいいですね。