今池中学校合唱部OB会 今池混声合唱団 第2回演奏会

−曲目解説−

T 日本の抒情歌

 私たちは、白い街とも呼ばれている名古屋に住んでいます。最近少しずつですが、緑も増えてきました。しかし、 車のクラクション、パトカーや救急車のサイレン、スモッグなどの公害の中では、とても自然の美しさを感じるどころではありません。 4月のはじめ、近くの鶴舞公園には、桜の花が咲き乱れますが、花を見に行ったのか、人ごみを見に行ったのか、わからないほどにぎやかで、 雑然としています。桜の花が、ヒラヒラと舞い落ちてゆく情緒ある風景には、よほどでない限り出会うことがありません。 四季の移り変りも、自然の変化からではなく、TVを通してとか、はだで感じる暖かさ、寒さからだけです。

 そこで、私たちは、日本にはこんな美しい四季の移り変りがあるのですよ!こんな美しい自然の姿があるのですよ!ということをみなさんに訴えたく、また自分自身、そんな自然にじかに触れてみたいという望みをもって、この曲を歌います。私たちの合唱をききながら、美しい情景が、浮び上ってくるでしょうか?みなさんの脳裏にそんな自然の姿が映し出されましたら、たいへんうれしく思います。

 “早春賦”“夏の思い出”“小さい秋みつけた”“雪の降る街を”いずれも、ポピュラーで、ハーモニーの美しい曲を選びました。みなさんも心の中でいっしょに歌って下さい。

U 混声合唱組曲「海の詩」

 いうまでもなく我々は海中の島に住んでいる。海を見るということは我々をとりまく現実を見ることであったり、我々の歴史と直面することであったりする。気づかないながら我々の運命は「海」とどこかでつながっている。

 第一曲「海はなかった」は重い鉛色の海を前にした若者の思い。第二曲「内なる怪魚〔シーラカンス〕」は、今尚、進化を拒否して深海に棲みつづける怪魚シーラカンスに寄せて、我等の内と外の停滞を。第三曲は歌詩はなく、母音で歌われる一種の子守歌である。実際に子供を眠らせる歌というよりは、海を前にした女たちの様々な思い、といったらいいだろうか。第四曲「海の匂い」は、故郷の村にも、都会にもやすらぎえない現代の若者の心の裂け目を、そして第五曲「航海」は那馬台国を解放しようという希望に満ちて漕ぎ進む舟人達の歌,という架空の解放歌である。(作曲者のノートより)

 この組曲は,1975年のNHK全国学校音楽コンクール高校の部の課題曲として作曲された「海はなかった」、を含む混声合唱組曲として、東洋大学混声合唱団の委嘱によりその年の夏から秋にかけて作曲されたものです。

V 混声合唱「風紋」

“風紋”とは、砂丘に、風によって刻まれた、様ざまな模様のことである。

 うねるような大きなスロープ、急激な崖、どこまでも続くであろう平坦な果てしない砂原。“大きな景色”である。その砂丘と,見知らない遙かなる地からやって来た、逞しい、動的な、“風”とのあいだに生じたやりとり、対話、それらを四章にまとめた作品である。

 無表情に大きく、白くひろがる砂丘を、風が通りすぎてゆくとき砂の上に微妙な線が作られる。曲線、直線、あらゆる可能な模様を形づくる。海辺の昼と夜、風と砂は、あたかも、愛を語り合う男女のように、つきることのない想いを美しい紋様にかえて、くり返し作りだしている。

 この優しくも、烈しい自然現象を、風を男声で,砂丘を女声に擬して対話風に構成されている。

 平均年齢が20才にも満たない合唱団で、このような曲を歌うのは無謀とも思えるが、雄大な自然現象と愛を、若いなりに、精一杯表現してみたい。