今池混声合唱団 第4回演奏会

−曲目解説−

混声合唱組曲「時は流れても」

 数少ない中学生のための合唱組曲から、今混の声質を生かすために選ばれたものです。組曲、といっても6曲に一貫したものがあるわけではありません。それぞれが、違った色をもっていて、独自のイメージを沸かせてくれます。

 簡単に各曲を説明しますと、「その人は言いました」は、今はいない、ある人への憧れと懐しさを、のびのびとした中に表現しています。「傘の花」は、例えば小雨の夕暮れに三越の屋上から広小路を見下したような、殺伐とした都会にあって妙に優しげで美しい風景を見た時の気持ちを唄っています。話しはかわりますが、波はどこで生まれるのか、考えたことがありますか?「波がくだける」は、冬の日本海の叩きつける波を見て、ふと波の神秘的な永遠性を思った、といったところでしょうか。「時は流れても」は、知らず知らずのうちに過ぎていく「時」だから、精一杯生きるんだという意志を表現しています。

 「ボートに乗って」は、彼女(あるいは彼氏)と公園で過すひとときの、何もかもが素敵に見えてくる、くすぐったいような楽しさでしょうか。(書いてる本人がだんだんこそばゆくなってきました)そして最後の「春・花の中で」は、毎年必ず春には花が咲き蝶が舞う、当り前のようだけど、やはりそこには生命の不思議があって、それに僕らは驚かずにはいられない。そんなおかしさと春の気持ちよさを合わせたような歌です。さすが「中学生のため」だけあって明るくて素直な曲ばかりです。聞く側に、そこのところが伝われば、と思います。

混声合唱組曲「光る砂漠」

 作詩者、矢澤宰(おさむ)は、21歳10ヶ月という若さで腎結核のためこの世を去った入である。彼が14歳の頃から書き始めた詩は、500篇を越えるという。そのひとつひとつに、ひたすら生きることを愛し、生きることを求め続けた名もない一人の少年の生命を感じることができる。

 「光る砂漠」というタイトルは、彼の20歳の時の詩「少年」からとったもので、その詩には、光る砂漠の中で魚を釣り上げようとする少年が描かれている。少年とはもちろん矢澤宰自身であり、魚は「生命」「愛」の象徴、そして「光る砂漠」とは生命を育むこの世の中のことであろう。“光る”と“砂漠”という相矛盾したような言葉を並べていることから、素晴らしい場であると同時に、何か虚しい場でもあるというような矢澤宰の微妙な心のゆれも感じられるような気がする。

 この「光る砂漠」の中には、矢澤宰が確かに存在し生きていたいろいろな場合がある。(“生きていた”というよりも“生きている”と言った方がよいかもしれない。)それは、憧れや願望であったり、自然のちょっとした変化に心を踊らせていることであったり、生の充実感を感じとったこの上ない喜びであったり、また、いつ死ぬかわからないという日々の中でのどうしようもない苦しみ、孤独感、寂しさであったりする。そうしたいろいろな場面での喜怒哀楽が、すべて「生命」あるがゆえのものとして、矢澤宰の眼は「生命」そのものを見つめている。

 孤独感ややり場のない悲しみの中で、ひたすら生きようとする姿もさることながら、この詩の持つ日本語の美しさにも心を打たれる。何とも言えない親しみ易さ、なつかしさを持った日本語である。ひとつひとつの言葉を生かし、生きている矢澤宰を表現できれば、と思っております。

混声合唱曲「海鳥の詩」

 この曲は昭和54年に出版された、比較的新らしい組曲ですが、出版されてから2年の問に多くの合唱団によって歌われて来た有名な曲です。作曲者は「海の詩」でよく知られている広瀬量平氏で、昭和27年に出版された、更科源蔵氏の第三詩集「無明」の中より「オロロン鳥」と「海鵜」の二作を抜き出し、この組曲の為に同氏が書いた他の二作を加えた計四作に曲をつけたものです。「無明」という題のごとく、戦時中から敗戦後の光のない暗くわびしい運命的とも言える時代を生きた日本人の姿を、荒くきびしい風土の中で生きる北の海鳥たちの姿に託してうたったものです。

 寒くきびしい世界の中で、それに負けることなく、自分の運命を呪うことなく、むしろそれを愛するかの様に、逞しく生きている北の海鳥たち、彼らの中に宿る生命の強さを我々今池混声合唱団が心を込めて歌います。流氷の浮かぶ藍く深い北の海を、凍てつく空を雄々と飛び回る海鳥たちの姿を思い起こして。