EDELWEISS 合唱祭特集号 1978.06.xx
安藤○○ 先生
今、合唱祭の演奏を聞いて帰ったところです。プログラムに書いてあったような始めての出演でおっかなびっくりの様子は全然ありませんでした。堂々たるものです。いつの間にあれだけ仕上げることができたのか不思議な気がします。メンバーもよくあれだけ揃いましたね。会場から見ていて実に立派なものでした。やはり混声でないといけませんね。タクトがまた実にうまいしみんなの気持ちがよくまとまっていて気持ちのよいコーラスを聞くことができました。ソフトなタッチとffのダッシュとコンビネーションも鮮やか。最後のフィナーレはみごとでした。「やった!」という感じでした。おめでとう。
鈴木○○
先日、我今池混声合唱団の今年の最初の目標だった合唱祭を無事済ませる事ができました。
当日の講評によると我団はハーモニーにおいてはかなりのレベルであり今や歌詞の内容を十分に吟味した合唱を求められています。これは言ってみれば当然の結果で、基礎のできている我団にできないはずはないのです。それゆえもう一歩の向上を考えねばならないとも言えます。
しかし反面、今、私達の考えねばならないのは、今池混声合唱団を愛する事、もっと身近に感じる事です。今は一般の全然見ず知らずの人が集まっている合唱団に近い状態で、ただ練習をしに出てくるだけで、中には「つまらない」と思っている人もいるんじゃないかな。「練習会に行きたいな」いやそれ以上に「練習会に行かねば」と私たちみんなが思える様にしたいと思っています。
それにはまず、団員の誰とでも話ができるように仲良しになることです。そしてよく聞く事です。僕達の現役の時はベースがアルトパートを完璧に覚えちゃって「ベースだけで歌ってみろ!」と山本先生に言われて歌うと、ハモってしまうという事がありました。それはどうしてかというと、他のパートが注意されている時にも、みんなしっかりそれを聞いていたからです。自分のパートだけを歌っていてもいい合唱にはなりません。他のパートの歌を聞きながら合わせて歌う―これが合唱には必要です。
「みんなが一つになる」団長としてこれだけは絶対達成しようと思っています。みんなも考えてみてください。
19歳6か月の自分 伊藤○○
今、昨年の愛教大男声の定演のテープを聞いている。やはり大学の合唱団はなかなかやるわいと思う。すると自分の声が聞こえてくる。ハッと我にかえる。「あれでいいのか?」「いいに決まってるじゃないか」「でも合唱というのは合わせて歌うことだろう?自分の声がとびだしたらまずいよ」「自分で満足できればいいさ。それにそれだけ自分が目立てばいいじゃないか」あとは自分の中で理性と感情とのかっとうである。
さて先日の合唱祭のテープをきく。ここではそんなかっとうは生じない。しかしまた理性と感情の対決である。「やっぱり要所、要所でまずい所があるな」「なにを言っている。11ヶ月であれだけできれば立派さ。演奏も決して悪くない」「そりゃー合唱はうまいかもしれん。11ヶ月にしてはネ。でも、背景を考えた上であれじゃ指揮者としての自信なんてあったもんじゃない」「バーカ! おまえが振らんで誰が振るというのだ。おまえだからできたんだ」「でも…」
自分を肯定するか否定するか、自分の行動を肯定するか否定するか、僕の中で理性と感情が常に戦っている。
今日、学校からの帰り道、ちょうど煙突と雲がひとつ見えた。ふとこんな事を思い出した。小さい頃暗くなってから空を見ながら歩いているとナント!雲が僕について来るではないか。僕が電柱を通り過ぎれば雲も電柱を追い越し、僕が必死になって走ればやっぱり雲も必死になって走ってくる。不思議で不思議でその晩なかなかねつかれず寝床であれこれ考えをめぐらしたものだった。“あれはきっと宇宙人のしわざだ”なんて真剣に考えていたあの頃は夢があってよかったなと思う今日この頃である あ々やはり年をとったものだ。
合唱祭を終えて合唱はむつかしいなとつくづく感じました。また指揮者と言うものがいかにむつかしいかということも痛いほどよくわかりました。指揮車としての自分を見た時、反省すべき点が無限にあるのですが、ここで書いた所で言い訳にしかならないので、僕の力はあんな程度だという事で許していただきたい。正直合唱団に助けられました。うまかったとは言いません。でもすばらしい体験だったと思います。
ぼくのした しまだのぞむ(5才)
ぼくのした 「うごけっ」 といったときは
うごいたあとだ ぼくのしたをぼくより
さきにうごかすのは なにや (子供の詩より)
こんなこと真剣に考えてみたらおもしろいのダ
ある日 子安○○
1988年6月4日
今日は第27回愛知県合唱祭である。今OB会はメンバーとしては最古参で数年前から客演扱いで模範演奏を行う様になっている。
わたしもすでに29才となった。創立来常任指揮を務めてきた伊藤○○氏も30である。蔵田○○氏と水野○○氏に至っては31才だ。気付いてみると時の流れは怖いほど速い。しかしOB会は年齢を重ねはするものの古くはならない。より新しい、さらに活発な力が絶え間なく流れ込んでくるからだ。会員は現時点で183名にのぼる。古株になったものだ。わたしには顔さえ知らぬ後輩が多いが、彼らの方はOBとして14年目をむかえるこちらの顔を知っているらしい。底辺は拡大しつづけている。OB会は今や県下最大級の合唱団に育ち、国内のあらゆる処へその威風を達している。
昨日文献あさりや手すさびの絵などの仕事を捨ておき5時間ぶっつづけの練習に参加した。疲労も今は不快ではない。
勤労会館一階ロビーで旧友加藤○○氏に会った。大学に入ったまま東京で学究の徒となった彼はは毎年この日は応援に来るのだ。
舞台に上がると畏れと興奮が体の中に湧きあがる。10年来多くの場を踏みながら慣れる事ができない感触がある。伊藤氏は相変らず流麗な指揮をする。演奏がおわった。ロビーへ戻ると安藤○○元校長がいる。容色衰えない小笠原○○先生がいる。名誉会長となった山本○○先生がいる。183名が―特にまだホンの若い人々が―初めての舞台を成功させたような興奮を隠さないで笑いあっている。いい光景だ。
ふっと息をつく。同期の山本氏が深々とタバコを吸った。
この後恒例のようにブランズウイックのジローをかり切り昼食会となる。家へ帰ると山積の本の中で仕事をつづけねばならない。今日の楽しみも終わりは近い。それでも鶴舞公園の青い木々の中の砂利を音をたて歩いてゆくとすばらしい思いにひたってしまう。夏には3年前からはじめたサマーコンサートだ。市民会館大ホールに183名の威容を揃えるのを思い浮かべるだけで足が軽くなる。
上の文章は時期的な差異が生じましたもので少し文を変えさせていただきましたことをおわびします。